2013年10月28日月曜日

遠足

昨日、教会の大学院生のグループと一緒にバースに行ってきました。ローマ浴場跡、バース大僧院、ロイヤル・クレセントと、有名どころを観光。電車に乗っての日帰り旅行は、家族だけだとしないので、こういう機会があって子供たちにも良かったと思います。

子供用の音声ガイドもあり、和馬は2時間以上かけて、ローマン・バスをゆっくり堪能しました。
こちらがバース・アビー(大僧院)。
 
和馬の持っているカメラは、レゴブロックでできています。日本の友人から贈られた彼の宝物。最近、どこに行くにも持って出かけています。
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以下2枚、レゴカメラによる和馬撮影の写真です。
 
バースにいたくまのパディントン。
 
楽しそうに二人で何をやっているかと思えば、「集合写真」を撮っていました。
 
 

2013年10月14日月曜日

確率

私が担当している聖書の会の先週のテーマは預言の成就でした。旧約聖書には、来るべきメシヤ(救い主)に関する預言が約300あります。どこで生まれるか、どのような役割を果たすか、いつ頃来るか、何をするか、それに対する人の反応はいかなるものか、などなど、実に様々な預言が旧約聖書には記されています。

そして新約聖書では、イエス・キリストの生涯が紹介され、旧約聖書の預言がイエス・キリストの上にことごとく成就したことが論証されています。

多くの預言がたった一人の人生の上に全て成就する確率と言えば、それはもう天文学的な数字になります。

私は父の仕事の関係で、高2、高3をイギリスの現地校で過ごしました。16歳まで浜っ子だった私の英語力ですぐに文系の科目を履修できるわけもなく、苦手な数学を4科目も履修していたあの頃。その内のひとつが統計学で、週に授業が8時間くらいあって、大袈裟ではなく、電卓を使って確率の計算ばかりしている時期がありました。

例えば、「100グラム入りで売られている菓子の袋が大量に在る中から、サンプルを採取したところ、サンプルの平均の重さは99グラムでした。両端0.5%の正規分布(?)を用いて、この菓子の平均の重さが実際は100グラムではない確率を出しなさい。」とか何とか、こんな感じの文章問題がありました。ちょっと違うかも。。。

でもまぁとにかく、こういった類の文章問題ではまず、「菓子一袋の重さが100グラムではない」という仮説を立てて計算していって、その確率が例えば0.0045とかでてくると、それは0.5%以下なので、この仮説は棄却できる、したがってこの菓子の重さは平均100グラムと言ってよい、みたいな解答をしていたと思います。

何が言いたいかというと、キリスト教の信仰を吟味していた時に読んだ本で、こんなくだりがあったのです。「メシヤに関する預言は数多いが、それがたとえ8個しかなかったとしても、その8個が、人類史上あるひとりの人生の上に全て成就する確率は、10の17乗分の1の確率である。」と。

私は「この時代に聖書なんて本気で信じられるのかな。」、「理性や知性を押し殺さないと聖書の記述は受け入れられないんじゃないかな。」、「科学と信仰は相容れないんじゃないかな。」と思っていました。でも、確率の話を読んで、はっと思わされました。

この確率の問題に取り組むなら、「イエス・キリストはメシヤではない」という仮説は当然棄却されなければならない。イエス・キリストはメシヤであったと結論付ける方こそ、自分の理性、知性と矛盾しない、と。

この預言の成就と、復活の事実を示された時に、私は聖書を本気で信じることができました。理性と知性において何ら妥協したのではなく、むしろ、自分の限られた理性と知性を総動員して考えた結果、聖書の記述は真理だと結論付けました。22歳のときです。(復活の事実に関しては、2012年6月11日の投稿、「Before & After」をご参照ください。)

昔の私も含め多くの人が、聖書と本気で向き合う前に、聖書は考えてみるに値しない本だと決めつけていると思います。聖書の中には人を自由にし、生かし、励まし、力を与える真理が詰まっているのに。日本やイギリスは自由に聖書を読める恵まれた国です。皆さんが聖書を手にしてくださることを心から願いつつ・・・久しぶりの長~い投稿を終わります!

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スポーツに目覚めた和馬。土曜日に活動する地元のちびっこサッカークラブに入りました!ゴールキーパーがいいんだそうです。