2015年9月22日火曜日

いつの間に・・・

5月の投稿からいつの間に4ヶ月も過ぎてしまいました。その間、家族の誕生日が3回あり、和馬は8歳、アイラは5歳、私は何と37歳になりました。

アイラが小学校に上がったので少し時間に余裕が出るでしょうか。同じことをアイラが幼稚園に上がった時に言った気がしますが、空いた時間にはまたすぐ予定が入ってしまうものですね。しかしながら、なるべく現状以上に活動は増やさず、空いた時間で日本人向けの聖書の学び入門テキストを書こう!という野望を持っています。ブログもその合間に書けたら・・と思います。
今日は空白の4ヶ月の写真を何枚か載せて家族の近況報告とします。

 和馬8歳の誕生会。
夏休み、日本に帰省。日本人の私も含め、家族みんな、初大阪でした。大阪城、暑かった!
プールに行き、海に行き、かき氷を食べ、花火をし・・・日本の夏を味わいました。日焼けしました。でもなぜか蚊には刺されず。
 学校初日のアイラ。
双子の姪も、もうハイチェアで離乳食を食べるようになっています。
アイラ5歳の誕生会。
三日前の夫と息子。
三日前の私と娘。家族みんな元気です。


2015年5月20日水曜日

ファンシー・ドレス

イギリス文化のひとつにファンシー・ドレスがあると思います。子どもが結婚式や発表会などで着るワンピースを「ドレス」と言い、これは日本でもおめかしが必要な時に着ます。でもイギリス人は変装チックなドレスを「ファンシー・ドレス」と称してこよなく愛します。

ディズニーのプリンセスドレスだったり、妖精だったり、はたまた男の子だったら怪獣だったり騎士だったり。スーパーマンやスパイダーマンもよく見かけます。

学校でもしょっちゅうチャリティーとからんでファンシー・ドレスで登校しても良い日があります。こうした日は好きに変装してきて良い代わりに1ポンド寄付します。(同じ趣旨でパジャマで登校して良い日も必ずある。。。)

誕生会などのパーティーの招待状に「ファンシー・ドレスで来てね」という一言が添えてあることもしばしば。

幼稚園などにも変装グッズは常備されていて、アイラを迎えに行くとよく服の上からお姫様のドレスを着ています。

我が家にもクリスマスプレゼントでもらったシンデレラのドレスをはじめ、近所のお姉さんからお下がりでもらったドレスが現在3着あり、アイラはほぼ毎日どれかのドレスを着て遊んでいます。(私も小さい頃にこんな文化で育ったら絶対毎日着ていたと思いますが。実はちょっと羨ましい。)

先日、姪のローズの3歳の誕生会でしたが、これも例の「ファンシー・ドレスで来てね」の会でした。その時の写真が以下です。

庭で白馬に乗る白雪姫ならぬアイラ。この馬、揺らすとヒヒーンと嘶いたりパッパカ、パッパカ走る音が出るのでアイラも上機嫌で乗っておりましたが・・・
 「キャハハ、落ちちゃった!」

 落ちてもやたらと楽しそう。

気を取り直して・・・
ローズ(中央)も3歳。早いものです。
近所の女の子、教会の女の子も加わって、あの日は一体、何人のプリンセスが大集合していたのでしょうか。女の子にとっては最高に楽しそうな午後の一時でした。

ちなみに、和馬はちょうど同じ日に友人のサッカーをする誕生会に誘われ、これ幸いとそちらに行きました。男の子でも気合を入れて変装をする子もいますが、和馬は無関心。学校のチャリティーの日も、寄付はするけれど変装せずに行く、ということが多いです。



2015年4月15日水曜日

日本語

使わない言語の習得ほど、モチベーションをキープするのが難しいものはありません。和馬とアイラにとって、日本語は今、「使わない言語」以外の何物でもなく、母の私がしゃべっていても、悲しいかな、とても「母国語」とは言えない状況です。でも最近、和馬が「読みたい!」と自分で選んだ漫画がきっかけで日本語熱が復活しつつあります。


右のドラえもんはバイリンガルの漫画で、残念ながら和馬は英語しか見ていないのですが、 でも、ゲラゲラ笑って楽しんでいるので良しとしましょう。「日本の漫画の方が英語のコミックより質が良い」とか何とか偉そうに評しています。

和馬が「読みたい!」と言ったのは左の漫画、メサイア。こちらは完全に日本語だけなのですが、聖書に興味のある和馬にはこの上なく魅力的だったようです。(この間参加した宣教団体のコンファレンスで売っていました。)イエスの生涯が聖書に忠実に漫画になっています。カタカナはまだマスターできていないので私が読み、平仮名を和馬が全部音読する形で、アイラが寝てから毎晩4ページずつくらい二人で読んでいます。4月の頭から始めたので、3日坊主にならずに済んでいます。今やっと50ページまで来ました。280ページまで読み切れますように!!

更に、毎回読み間違える平仮名を、「朝起きたら練習しなさい!」と言ったら、素直に「はーい。」と答えたので(びっくり!)、先週からは日本語の朝練も始まりました。その写真がこちら。意外と頑張ってます。

アイラはこんな絵本を読んでいます。和馬よりスラスラ読めます!
マイペースでいいので、自分の興味の持てる本をこれからも頑張って読んでいってほしいです。







2015年4月13日月曜日

イースター休暇

イースター休暇も今日で終わり。今回の休暇は、子どもの成長をまた改めて感じた嬉しい休暇でした。

まずは、和馬がお泊まりに行ったり、アイラが誕生会に行ったり、子供の予定をスケジュール帳に書くことが増えたこと。

また、家にいるとよくドアのノックがあり、和馬の友達が何人も遊びに誘いに来たこと。こちらでは3年生(7歳、8歳)になってようやくどの家庭も子供だけで近所で遊ぶことに抵抗がなくなってくるようで、我が家も友達と一緒ならOKの方針なので、和馬は公園でサッカーをしたりロビン・フッドごっこをしたり、天気の良かった先週いっぱいでかなり日に焼けました。

そして、そして!!!何とアイラが補助輪なしの自転車に乗れるようになったことです。家族揃って自転車で出掛けるなんて、なんだかまだ信じられない私です。


これは本当に「見慣れぬ光景」!小さい身体を一生懸命動かして自転車をこいでいる後ろ姿が非常に微笑ましいアイラです。
思ったより早くこんな家族写真を撮る日が来た、というのが正直な感想です。私は4歳の時には補助輪なしはできなかったなぁ。。。
和馬が友人と公園にいる間、アイラとの母子二人サイクリングも楽しみました。
先週は暑かったので飲み物も持参。
自転車に乗って新しい世界に一歩踏み出した娘の笑顔、大事な記念写真です。

2015年4月8日水曜日

冬から春へ!

ご無沙汰している間に季節が変わりました!
雨が多く暗くて寒い1月は和馬のサッカーに付き合うと服はドロドロ、身体は芯まで冷え切る感じでしたが・・・
 だんだんと日差しに春を感じるようになり・・・
 とは言え3月に入ってもしつこく寒い日が続いたものの
イースターも終わった今週はいよいよ春、半袖の陽気です。
今日はアイラもTシャツでした。
日本の桜に似た綺麗な桜も満開。春って本当にいいですね。

今年の我が家のイースターで新しく試みたものをいくつか載せると、まずは十字架から埋葬までのシーンを再現した箱庭、「イースター・ガーデン」を近所の教会で作りました。
こちらはもう少し小さい、しかも食べられるイースター・ガーデン。
我が家に来てくれたお客さんと庭でエッグ・ハントだけでなく、エッグ・アンド・スプーンレースもしました。

こちらは今週いっぱいが春休み。イースターまでずっと忙しかったので、今週は少しゆっくりしたいと思います。

2015年3月13日金曜日

どうする、サンタクロース?主人編

しつこいですが、前回と前々回に引き続き、もう一回だけサンタについて投稿します。

前回のは私の視点中心でしたが、今回は主人の視点中心で行きたいと思います。主人はスコットランド人で、サンタクロースのことを「Father Christmas」と呼んで信じていました。イブの夜には居間の暖炉のそばにストッキングを置き、サンタ用にウィスキー、トナカイ用にニンジンの差し入れも用意して寝ました。クリスマスの朝には真っ先に居間に行き、ストッキングにプレゼントが入っていることを確認する、そんなハッピーな幼少時代を送った人です。(不思議なことにウィスキーもニンジンも毎回完食されていました!)

主人も主人で、サンタに関して親に色々質問したそうです。主人の両親は、一貫して「サンタについては自分達もよく分からないけれど、サンタには沢山『リトル・ヘルパー』がいるんだよ。」と答えていたそうです。(でも、私の息子だったら「じゃぁ、その『リトル・ヘルパー』っていうのは何者?!」と質問攻めにして、私を降参させたことだと思います・・・サンタをやるというのは、相当の覚悟が必要です!)

主人は子供の頃、「サンタは神様みたいだな」と思っていました。本当にそうですよね。一晩のうちに世界中の子供達に、しかも、密室で寝ている子供達に、その子供達が一番欲しいと思っているものを確実に届けるなんて、まさに「神業」。リトル・ヘルパーが何人いようが、神様みたいです。そんな主人にとって、サンタの一番の問題は「神様みたいな」存在なのに、「神様と全く反対のことを言う」ことです。

サンタのセリフと言えばこれでしょう:「良い子にはプレゼントをあげるよ。」

神様が聖書を通して私たち人間に教えたいのはその反対です:「良い子はいない。でも私の恵みのゆえにプレゼントをあげよう。わたしのもとに帰っておいで。愛しているから。」

私たちは毎日子供と聖書を読んで、このメッセージを教えています。でも、「福音」、「幸福な音」、すなわちグッド・ニュースなはずのこのメッセージは、実は単純なようで私たち人間にはなかなか受け入れにくいメッセージなのですよね。

人間はいくら罪人だと諭されても、やはり自分には良いところが沢山あるように思え、その良い所で努力して神様に近づこうとしてしまうのです。神様の好意を自分の力で勝ち取ろうと思ってしまうのです。もう信じられないくらい神様からは愛されており、好意を得ており、それなのに多くの場合に神様のことを忘れて自分中心に生きているにもかかわらず。

これに関しては、2014年3月10日の投稿、「順番」をご参照ください:
http://momekomemo.blogspot.co.uk/2014/03/blog-post_10.html

小さな子どもにとっては「神様」みたいに不思議な存在のサンタ。神様とサンタを明確に区別するのは難しいでしょう。そして一方では恵みによる救いを教え、他方では良い子にしていないとプレゼントはもらえないという、互いに相反することを教えたら、混乱するでしょう。

ということで、主人の中でも「我が家ではサンタをしない」方針に固まっていきました。

「サンタクロースくらい、楽しければいいじゃん」と思われる方もいるでしょう。でも、私と主人にとって、クリスチャンとして生きていくのはもっと真剣なことです。毎日毎日真剣勝負です。そしてそれはサンタクロースを楽しむのと比べものにならないくらい、幸いで素晴らしい真剣勝負です。神様は本当にいて、私たちを愛してくださっているからです。

「しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」(ローマ人への手紙5章8節)

この愛を知った私たちには、サンタは実は「ちりあくた」です。

「私(パウロ)にとって得であったこのようなものをみな、私はキリストのゆえに、損と思うようになりました。それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。キリストの中にある者と認められ、律法による自分の義ではなくて、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基づいて、神から与えられる義を持つことができる、という望みがあるからです。」(ピリピ人への手紙3章7節~9節)










どうする、サンタクロース?

前回の投稿に続き、サンタ談義です。

クリスチャンの方で、自分の子供に対してサンタクロースをするかしまいか迷っている方の参考になれば幸いです。まだクリスチャンで無い方に、「サンタをするな」と言っているわけでは決してありません。誤解のないようにお願いします。

私も主人も小さい頃、サンタを信じていました。私たちの両親はキリスト教の信仰があって子育てをしていたわけではありません。サンタをしてくれ、クリスマスを最高に楽しい思い出にしてくれた両親に感謝しています。12月25日の朝、目覚めた時のあのワクワク感、あれはちょっと他では味わえないものですよね。

自分達がサンタを楽しんでいたこともあり、また、そんな自分達であっても、主人は10代後半、私は20代前半で信仰を持つことができたということもあって、私たちは最初はサンタに関して態度を決めかねていました。だから、長男が生まれて、彼が0歳、1歳のクリスマスは本人が何も分からないのでサンタをしなかったのですが、2歳、3歳ではサンタをしてみました。しかしながら、「これはしても良いのだろうか」という思いがぬぐえず、仕掛け人である自分が100%楽しんで出来なかったので、すごく盛り上がりに欠けました。3歳までは子供もはっきり言ってあまりよくわかっていなかったようです。

4歳の時は、クリスマスが近づいたころから、質問攻めでした。「どうやって僕のおうちに入って来るの?」「煙突が無い家ではどうするの?」「なんで皆の欲しいプレゼントが分かるの?」「サンタさんってどんな人?」「どこに住んでるの?」「本当にいるの?」

そりゃそうです。不思議ですよねぇ。私もすっごいすっごい不思議で、小学校1年の時、作文に「(サンタのことを考えていると)頭が痛くなってくる」と書いて親はウケたようです。私の場合、親に質問すると、具体的な部分は「そうねぇ。本当に不思議ね。どうやって来るのかしらね。」と、一緒に不思議がる作戦で乗り越えてもらってました。また、サンタの存在を問う質問については、一貫して、「信じてる人にはいるのよ。」と答えてもらって納得していました。例えば、「学校で○○ちゃんが『サンタはいない』って言ってたよ。○○ちゃんのお家の近くのお店の包装紙に包んだプレゼントが押し入れに隠されているのを見たんだって。ねぇ、本当にサンタはいるの?」と母に訊くと、母は「信じてる人にはいるのよ。○○ちゃんは信じていないんでしょ。そうするとサンタさんは来ないから、親が代わりにやってあげるのよ。だからプレゼントが買ってあったのよ。」という具合です。

しかしながら、私は息子の質問攻めを受けて、「信じてる人にはいる」という論理は使いたくない、と思いました。なぜなら、いつも話して聞かせているイエス・キリストや聖書の神様は、確かに今は目に見えないので「信仰の対象」であっても、確信を持って存在していると言い切れるお方であって、「信じている人にはいる」ような存在ではないからです。人間が信じようが信じまいが、神様はいる。だからこそ、神様は「『わたしはある』という者」なのです。名前からして、「わたしはある」、「わたしは存在している!!」と訴えておられる方なのです。もし私がサンタクロースに関して「信じている人にはいる」と息子に言い続け、しかし息子が12歳くらいになった時に「あれは実は私とパパでした。サンタはいないんですよ。」と言ったとしたら、「じゃぁ神様もそんなもんではないのか」とならないでしょうか。だから私は絶対にいるものだけをいると言い、いないものはいないと言い続けなければ、息子に真実を教えられなくなる、と思ったのです。

それに、聖書は嘘はいけないと教えています。私にとっては、「一緒に不思議がる」ことも嘘です。だっていないって知っているのですから。一緒に不思議がるだけでは納得しない、もっとしっかり追求してくる息子だったことも大きいです。「何でいちいち嘘をついてまで、いもしないものをいると信じさせなければいけないんだ?」「人間の心は、ともすると『神なんていない』と横柄になるもの。罪深いもの。だからこそ、神様はいるんだよ、と日々心を砕いて教えているのに、何でその教えをむしばむようなことをわざわざするんだ?」と、こう思えてなりませんでした。

そこで、きっぱり、「我が家ではサンタはしない」と決めたのです。決めて、心がスッキリしました。

それに、逆に思いっきり、サンタを楽しめるようになりました。フィクションとして。

我が家には、サンタが出てくる本が何冊かあります。子供達は大好きです。サンタの位置づけは、ディズニーのプリンセスとかと同じです。ショッピング・モールなどでサンタに扮した人がいれば「あ、サンタがいるよ!」と盛り上がります。ディズニーランドで「ミッキー」がいたら喜ぶのと一緒です。

子供達には、聖ニコラスという人がいて、その人も我が家と同じクリスチャンで、その人がサンタクロースの始まりだよ、ということも教えています。彼が信仰のゆえに、自分の財産を貧しい人にささげたことから、プレゼントをする習慣が生まれたとも教えます。だから、我が家も、クリスマスにはプレゼントを交換します。子供達は誕生日とクリスマスには親戚からプレゼントがもらえるので、クリスマスは最高だと思っています。でも、聖ニコラスの信仰から始まったのですからやっぱり最高の元はイエス・キリスト。聖書に戻って、神様からの最高の贈り物はイエス・キリスト、ということもきちんと伝えます。

また、学校で「サンタはいないんだぞ」と言わないようにも教育しています。学校にはイスラム教の子やヒンズー教の子がいますが、彼らの宗教を尊重するのと同じように、サンタクロースを大事にしている家庭もあるから、そこを尊重しないといけませんよ、と話して聞かせると、問題はありません。

アメリカの映画などでは、クリスマスといえばサンタクロース。教会なんて一切出て来ず、とにかくサンタクロース。日本人には「アメリカ=キリスト教の国」という構図があります。キリスト教の国アメリカであれだけ大々的にサンタをやっているんだから、クリスチャンもサンタをするんだろう、と思っていらっしゃる方も多いかと思います。でも、アメリカ映画がアメリカのクリスチャンの実体を反映しているわけではありません。去年、以下のサイトがFacebookでシェアされていました。このブログのアメリカ人のお母さんも、私と同じような考えでサンタをしていません。その彼女の投稿にコメントをしている人たちの多くが、「うちもしていません。」と書いています。もし興味があったら読んでみて下さい。

http://gospelcenteredmom.blogspot.co.uk/2014/12/what-to-do-about-santa.html?m=1&utm_content=buffera4d30&utm_medium=social&utm_source=facebook.com&utm_campaign=buffer


すごく季節はずれな投稿でしたが、クリスマス前に考えるより、じっくり考えてクリスマスを迎える方が良いと思うので、クリスチャンでこれからパパ、ママになる方、次の投稿と合わせて参考になさってくださいね。

2015年3月10日火曜日

イースター

高山右近の特伝が終わり、我が家は今年もまたイースター仕様になりました。





外もだんだん春らしくなるこの時期、本当に好きです。
我が家はクリスマスとイースターは盛大に祝います。祝うことの中で大きな比重を占めるのは、「覚える」ことです。覚えるとは、思い出す、思い起こす、思いをはせる、そして感謝をすること。イエス・キリストの誕生を覚える、十字架での受難を覚える、復活を覚える時に、クリスチャンの私たちは喜びと共に神に対する畏敬の念に包まれます。

こうしたことを「覚える」のに、サンタクロースは不要どころか、害になっていると思うようになり、我が家では3年くらい前からサンタをやらなくなりました。

この件に関しては、次の投稿できちんと説明します。

今日は結論だけ・・・
去年のクリスマスに、教会のおばさんがアイラにこう言いました。「クリスマスって本当にいいわよね。あなたもクリスマスが大好きでしょう?」
アイラの答えはこうでした。「はい。大好きです。イースターとクリスマスは本当に大好きです。」

ね、サンタがいなくても、大丈夫です。子供にはクリスマスの素晴らしさが十分に伝わります。そして、サンタがいたら、やっぱり不思議度やプレゼント効果でクリスマスがイースターに勝ってしまうでしょう。でも、サンタをなくして、どちらも聖書中心にしたら、イースターとクリスマスが、幼い子供にとっても、同じくらいの大切さになるのです。私は信仰を持つ親として、自分の子供に、クリスマスとイースターの本当の意味を味わえる、幸いな子供に育ってほしいと願っています。各家庭にそれぞれのスタンスがあっていいと思いますが、そんなわけで、我が家はこれからイースタームードを盛り上げていきます!

2015年1月28日水曜日

高山右近

2015年の今年は高山右近の没後400年。武将であり、茶人であり、クリスチャンであった彼の人生に数年前から興味を持っていました。毎年イースターの前に日英バイリンガルの伝道イベントを企画していますが、今回は高山右近を軸にしようと文献を読みあさっていたところ、今年がちょうど没後400年だったと知りました。グッド・タイミング!
これをきっかけに戦国時代末期の面白さを再発見。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と、キリスト教の伝来、茶の湯の千利休、高山右近、細川ガラシャなどは、すべて時を同じくして互いに面識があったり影響を与え合ったりしていたのですね。読書、読書でブログを放ったらかしにして失礼しました。これから原稿を書き上げるまで(恐らく2月中旬まで)、もうしばらく失礼します・・・

子供達は元気にしています。
和馬は先週、サッカークラブの試合で初得点。超弱小チームだったのが、段々皆上達してきたようです。
そしてアイラは何と、和馬より平仮名で色々と読めるようになっています!

私から見ると洋楽を聞きながら洋書を読む子供って何か違和感。そして、少し前の我が家を思うと、二人とも本を読んでいるこの光景自体、何か違和感です。子供は成長するんですね、当たり前だけど。いや、当たり前ではないか。感謝、感謝。

2015年1月17日土曜日

明けましておめでとうございます

2015年が始まってもう半月経ってしまいました。遅ればせながら、新年明けましておめでとうございます。
14日の水曜日の朝に双子の姪が無事に誕生しました。
明日会いに行きます。この写真だけで伯母さんの私はメロメロです。
今年もどうぞ宜しくお願いします。