2012年6月25日月曜日

運動会

今日は和馬の学校の「Sports Day」でした。0、1、2年生のみで、赤、黄、緑の3チームに分かれ、全8種目を競います。(和馬は黄色チーム。)月曜日なので見学の保護者も多くはなく、午前中でサクサク終わる運動会でしたが、私の大好きな、あの独特な雰囲気はあり、一頻り盛り上がって応援して帰ってきました。手伝ってくれる上級生が良い子たちで、0年生の和馬を上手く助けてくれていました。年上の子が年下の子に優しくしていたり、頼もしかったりするのって、何だかとっても良いですよね。黄色チームは3位(ビリ)だったのですが、母は大満足で帰って参りました。

今度はリス!



今日の朝、家族で運河沿いの小道を教会へ向かって歩いていると、リスが近くに寄って来ました。興味津々な子供達が声を上げても逃げようとしないので、お腹が空いているのかも、と思いました。教会に着いたらあげようと思っていた、子供達用のおやつの中から、アンパンマンのお野菜せんべい(日本にいる両親から孫達へ郵送された貴重品!)を一かけ割ってあげると、やはり、取って木に戻り、すぐに食べだしました。
モグモグしているこの2枚目の写真、かわいいですよねぇ・・・
それにしても、アンパンマンのおせんべを食べたリスは、このリスがイギリスで最初で最後でしょうね!









2012年6月21日木曜日

2012年6月18日月曜日

Star of Life

西欧の医療スタッフの制服や、救急車に、杖に巻きついた蛇の絵が入った、青い星印が付いているのをご存知ですか。私は、イギリスの救急車についているのは、以前から気付いていました。でも、調べたところ、西欧では結構一般的に付いているそうです。ということで見てみたら、和馬のおもちゃの救急車にも付いていました!
救急隊員の胸にも、ちゃんと付いていますよね。このマーク、スター・オブ・ライフと言うそうです。私は、以前から、これを見るたびに、イエス・キリストに思いを馳せていたのですが、これも、調べたところ、聖書からではなく、ギリシャ神話の医療の神である、アスクレーピオスに由来するのだそうです。クリスチャンの私としては、勝手に「さっすがキリスト教の伝統のある国は違うわ~。救急車にまで聖書の教えが浸透してる!!」なんて思っていただけに、今回調べてかなりがっかりしたのですが、まぁ、仕方がない。気を取り直して、なぜ、このマークを見て私がイエス・キリストに思いを馳せていたのか、投稿したいと思います。

話は旧約聖書のモーセの時代から始めないといけません。イスラエルの民が、奴隷として働かされていたエジプトの国を、過ぎ越しの事件をきっかけにして脱出した話は、4月9日月曜日の投稿、「Good Friday が GOOD なワケ」に書きましたので、どうぞご覧ください。エジプトの国を出た後のイスラエルの民はどうなったかというと、「約束の地」(今のイスラエルの国がある辺り)に向かって、長い長い荒野の旅をします。モーセは、イスラエルの民のリーダーです。荒野には十分な食べ物も水もありません。そこで、神様がマナという不思議な食べ物を天から降らせ、養ってくださるのですが、イスラエルの民はしょっちゅう文句を言います。今日注目したい箇所も、正にこのような状況で起こった話です。旧約聖書の民数記21章4節から9節に書いてある記事を要約すると、このようになります:

荒野の旅にがまんできなくなった民は、神とモーセに文句を言った。そこで神は民の中に毒蛇を送り、多くの人が死んだ。切羽詰まった民は、罪を認め、蛇を取り去ってくださるようにと祈った。神はモーセに、青銅の蛇を一つ作り、それを旗竿の上に付けるようにおっしゃった。モーセは言われた通りにし、もし蛇が人をかんでも、その者が青銅の蛇を仰ぎ見ると、生きた。

これは、イエス・キリストが生まれる、約1500年前の話です。毒蛇に噛まれても、旗竿にかかげられた蛇を仰ぎ見れば、致命傷から救われた。この旧約聖書の話を知っていたので、スター・オブ・ライフを見て聖書から来ているのだろうと思ったわけです。人の命を救うために日夜活躍する救急車にはぴったりですものね。
それはさておき、この話を、イエス様が生前、取り上げておられるのです。これは、新約聖書の、ヨハネの福音書3章14節に書かれていますが、イエス様はこうおっしゃっています:
「モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければなりません。」

ここで「人の子」とは、イエス様ご自身のことです。旧約聖書でメシヤ(来るべき救い主)が「人の子のような方」として言及されているので、イエス様は自分のことを、よく「人の子」と呼んでいました。「人の子もまた上げられなければなりません。」とは、つまり、「メシヤである私も、十字架の上に上げられなければなりません。」ということです。つまり、「モーセが荒野で蛇を上げ(て、仰ぎ見た人の致命傷が癒され)たように、十字架に上げられた私を仰ぎ見る者は、罪の致命傷を負っているが、救われて生きる」、という意味でおっしゃったのです。これで、イギリスで救急車を見るたびに、私がイエス・キリストに思いを馳せていた理由がお分かりになったでしょうか。

もう一度、ヨハネの福音書3章14節から16節を引用して、今日の投稿の真面目な部分を終わります:

「モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければなりません。
それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは、御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちをもつためである。」

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「ん?」を連発しながら本の中の絵を次々と指さす妹に、名称を教えてあげる兄。このような、うるわしい兄妹愛が、たま~に見られます。
家具付きのアパートなので、大きなソファがリビングにあります。ソファで手作りアスレチックを作って遊ぶのが、子供たちの最近のお気に入り。
足が床についてはいけない、のだそう。私も姉とこんな遊びをしたなぁ。

2012年6月17日日曜日

父の日

6月の第3日曜日は父の日ですね。これは、イギリスも同じ。でも何故かイギリスの母の日はイースターと連動していて、悲しいかな、今年は3月18日に終わっていました。(日本の母にカードを送るのを忘れたのもそのせいです!)

それはそうと、金曜日に、和馬もアイラも、それぞれ学校と保育園で父の日のカードを作ってきました。
和馬の青いカードをクリックしていただくと、多分見えるかと思うのですが、「To Dad Luv Kaz」と4行で書いてあります。「Luv」はもちろん、「Love」のつもりです。(スペリングというよりは、音を覚えて書く段階なので、こういう誤りが起きるようです。)
この、あまりにも「達筆の正反対」の書き方がかわゆく、綴りのミスさえもかわゆく、本当に親馬鹿と思いつつ、写真を撮りました。でも、子供が字を書き始めるって感慨深いです。
平仮名も、非常に微妙ですが、書きたがるし、書きます。「し」とか「く」とか、単に曲がった線とも取れる平仮名ですが。日本にいる父に、私が色々書くよりも、孫の字が嬉しいかと思い、和馬に「書ける字をなんでも書いてごらん」と父の日のカードを渡したところ、「じーじ うつくしい Kaz」と書いていました。てんでバラバラに文字を羅列するだけだと思っていたのに、一応文章(?)というか、メッセージになっており、これまた、親馬鹿ながら感心した次第です。「うつくしい」だなんて、それこそ、ばーばに送ってあげたかった気がします。まぁ、「は」はまだ書けないんですが。。。

下の2枚がアイラからパパへ。

2012年6月11日月曜日

Before & After

「ビフォア―・アンド・アフター」と言えば、ダイエットをする前と後の写真とか、住宅をリフォームする前と後の写真を紹介する時に、テレビや雑誌でよく使われますね。私たちはその劇的な変化にびっくりしたり、感心したりするわけです。

今日のお題のビフォア―・アンド・アフターは、イエス・キリストが復活する前と後の、弟子たちの変化についてです。

私の通うセント・エブス教会で、毎週木曜の朝に開かれている母親のための聖書の会で、この間マルコの福音書の14章を読みました。そこには、イエスが復活する前の弟子たちの様子が鮮明に描かれています。私たちにとっては、まさに「ビフォア―」の写真と言えます。

マルコの福音書の14章の後半で、イエスはユダヤの宗教指導者によって逮捕されます。これまでにも、イエスは何度か弟子たちに、自分が捕まり、死刑を宣告され、さんざん嘲弄され拷問された上で、実際に死刑を執行されて死に、その3日後に復活すると告げていました。でも、弟子たちにはその真意が分かっていなかったようです。イエスをキリスト(旧約聖書で預言されていた救い主)と信じ、告白していた彼らですが、ローマによって征服されていたユダヤ民族として、もっと政治的な意味での「救い主」を期待していたようなのです。旧約聖書にも、救い主は「永遠の王」、「全世界の主権者」として描かれていたりするので、無理もないでしょう。神から遣わされたこのイエスによって、劇的なクーデターが成功し、ユダヤ民族がローマに代わって全世界を支配するようになるかも知れない、あらゆる奇跡を行なって、その権威と力を証明してきたイエスなら、こんな夢物語も実現するかも知れない、そんな期待があって当然だったのかも知れません。だから、イエスの言う「迫りくる死」も、そんなクーデターの最中に起こる悲劇で、まさに英雄としての死なのだと思っていたのではないでしょうか。弟子の代表格であるペテロは、「私は一緒に死ぬ覚悟です!」と豪語しています。今まで、全てを捨ててイエスについてきたのです。弟子たちの心は燃えていたでしょう。ペテロは本気で最後までお伴する気だったのです。

それがどうでしょう。実際にイエスが逮捕されると、「みながイエスを見捨てて、逃げてしまった。」と聖書にあります。ある者は、着ているものを捕まれたのでしょうか。それを脱ぎ捨てて、裸になって逃げた、とありますから、相当必死です。「自分も捕まっては大変」、「自分も殺されては大変」と、一目散で逃げたのです。また、あれだけイエスと運命を共にしようと息巻いていたペテロはというと、イエスを知らないと3度も言い、イエスとの関わりを全否定するのです。

ユダヤの指導者に逮捕されたイエスは、自分を神と同等にしたということで、冒涜の罪で有罪になりますが、それではローマの裁判では罪にならないので、暴動の首謀者、納税拒否の扇動といった、ローマの指導者にとっても見過ごすことのできない罪をねつ造され、偽証されて、最終的に死刑の宣告を受けます。逃げた弟子たちは、いつローマの当局が、あるいはユダヤの指導者たちが、自分の所にもやってきて、イエスと同罪に定めるかと、びくびくしていたに違いありません。ヨハネの福音書に、弟子たちがいた所では、ユダヤ人を恐れて、鍵がかけられ、ドアが固く締められていた様子が書いてあります。

ここまでが、「ビフォア―」です。復活の事実を知る前までの弟子たちは、弱く、恐れており、保身に走っています。

弟子たちの「アフター」の様子を知るには、聖書の「使徒の働き」という書物を見るのが一番です。長くなるのでこちらはあまり触れませんが、「使徒の働き」から得られる弟子たちの印象は、大胆で、怖いもの知らず、死をも恐れずイエスを主と告白し、宣教に明け暮れるといったところでしょうか。実際、多くの弟子は、復活を主張し、イエスを主と告白する信仰の故に、迫害され、殺されています。

この違い!何たる違い!

人はそんなに簡単に変われません。「ビフォア―」と「アフター」の間には、弟子たちをこうも変えるほどの、「何か」があったはずなのです。

その「何か」が「復活」なのです。

普通では考えられない死からの復活。簡単には信じられない甦り。でも、「ビフォア―」と「アフター」の写真が、イエス・キリストの復活を裏付けている、とは思いませんか。殉教した弟子たちを見てください。人は、嘘のためには死ねないですよ。復活を本当に信じていたからこそ、死んだのです。

私は、ある本を読んでクリスチャンになりました。その本では、この弟子の変化を始め、復活の証拠が書かれてありました。そのおかげで、私は復活を信じることができました。復活が信じられると、聖書の他の記事も全て受け入れられました。復活を予告し、まさにその通り復活したとなれば、イエスは自分で言っていた通り、父なる神とひとつであったのだろう。神様なら、奇跡を行なえて当然。神様なら、処女から生まれても不思議はない。むしろ、普通に生まれたら普通の人間に過ぎない。などなど。それまでは「信じる」なんて思ってもいなかった聖書の記述が、心から信じられました。この本は英語の本なので、いつか、許されるなら、翻訳したいな、なんて思っています。

「もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われる」(ローマ人への手紙10章9節)

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2月の投稿で、アイラは何でも履いてしまう、と書いた記憶がありますが、それは今も変わりません。「暑い!」と言ってすぐパンツ一丁になってしまう兄のズボンを見つけては、スカートの上から履くアイラ。何でこんなに嬉しそうなんでしょう。。。
母性本能のかたまりみたいなアイラ。毎日、「ベイビー」を寝かしつけたり、本を読み聞かせたり、せっせと母のまねごとをしています。
学校でスプラウトを栽培。夕飯のサラダに入れてね!



2012年6月5日火曜日

白鳥の親子

この間はカモの赤ちゃんでしたが、昨日は白鳥の赤ちゃんを観察できました。
家の窓から白鳥の親子が見えたので、子供達の寝た後(まだ病気)、私一人で見に行きました。
「みにくいあひるの子」のお話の通り、灰色の赤ちゃん。
ママのおしりの辺りをずっとスリスリしてるなぁ、と思って見ていたら・・・
ママの背中に登っちゃった!
「乗せて、乗せて」とせがんでいたんですね。
ママの羽の下に完全にもぐってしまいました。
赤ちゃんの頭がひょっこり出てるのが分かりますか?
お母さんが毛繕い、じゃなくて、羽のお手入れをしてくれています。
こうして見ると、赤ちゃんが羽の下に入っているなんて、分かりませんね。
夕暮れの運河。茶色い建物が我が家の入っているアパートです。緑の船の奥に、白鳥のパパとママが見えます。赤ちゃんはママの背中で寝ちゃっているんでしょうね。



子供達は今朝、窓から白鳥一家を見ることができました。和馬は大分良くなりましたが、アイラはまだ元気がありません。食べてないから弱ってしまったのでしょうね。蓄えがあるので1週間くらい食べなくても平気、とお医者さんに言われてはいますが・・・。確かにアイラの日頃の蓄えはスゴイので、水分だけは取らせるようにして、様子を見たいと思います。
それにしても、オックスフォードに来て、こんなに自然観察が楽しめるとは。緑豊かな街は、いいですね。

2012年6月4日月曜日

ダイヤモンド・ジュビリー

今週末はエリザベス女王の即位60周年を祝う、記念すべき週末。
我が家も知人宅へランチに行ったり、人を自宅へ招いたりするはずでしたが、なんと、私以外の家族がお腹にくる風邪で全滅。先週の火曜日の私と症状が良く似ています。夜通し吐いて、微熱あり。1週間以上経ってからの発症なので、私から直接うつったのではなく、教会かどこかでもらってきたのでしょう。私は先にやっておいて良かった。本当に全滅していたら看病する人がいませんものね。
天気も悪く、少なくとも我が家はお祭りムードからは程遠い週末になってしまいました。

次の日のゲストのために、こんな国旗を模したケーキを作り、満足気な和馬の写真を撮った夜から、家族が吐き出し、結局ケーキはまだ冷蔵庫で寝ています。私も一人では食べる気もせず。。。誰かにあげに行こうかとも思ったけれど、雨の中、病人を置いて外出する気にもなれず。。。早くしないと生クリームが悪くなりますよねぇ。。。
ちなみに、小さな四角の紙切れは、「国旗のケーキの飾り付けは、これを参考にして!」と、和馬が描いたユニオン・フラッグです。私のも和馬のも、ちょっと違う・・・

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それはさておき、ジュビリーとは、通例、50年の周年記念行事を指す英語です。結婚60周年の記念石が、イエロー・ダイヤモンドだから、女王即位60周年をダイヤモンド・ジュビリーと言うのでしょうか。この「ジュビリー」は、日本語読みだと「ヨベル」。旧約聖書のレビ記25章10節以降に言及されている、50年目の聖なる年を意味しています。聖書が元の言葉って、いっぱいあるんですね。