2012年2月27日月曜日

イエス・キリストの十字架

昨日(2012年2月26日)の中野島キリスト教会のメッセージは、イエス様の十字架のシーンからでした。何度も読んでいる箇所なのに、イエス様と一緒に十字架に付けられた二人の強盗の内、一人は途中から態度が変わったということは今まで考えたことがなく、とても新鮮でした。

國分先生は神学校時代に「イエス様は誘惑に会われたが罪は犯さなかった」という点が心に本当に迫って理解した時に「イエス様はまことに神様だったんだ」と心底わかったとメッセージでおっしゃっていましたが、私の場合の似たような経験は、この十字架の場面を、メル・ギブソン監督の「パッション」という映画で観た時です。もう既にクリスチャンになっていて、頭では「イエス様は100%人間だけど100%神様でもあった」という聖書の教えを分かっているつもりでいました。でも、恐ろしい形相のローマの兵士達がイエス様を拷問したあげく十字架に架ける時に、私の心にあったのは、「この人たちは地獄に行くんだから」という思いでした。痛々しくて、酷過ぎて、殆ど正視できずに指の隙間からチラチラ観ているような状況でしたが、「こんな酷い人達は地獄に行って当然。そうして裁かれなければイエス様が可哀そう過ぎ・・・絶対絶対ゆるされることじゃない」なんて思いながら観ていたら、イエス様が「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分で分からないのです。」とおっしゃったのです!その時私は「イエス様はまことに神様だった」と心底分かりました。私の思いとの何たる違い!人間にはあんなことは言えない、と思いました。イエス様のスゴさを心が震えるような感動を持って味わった少し後に、今度は、「このような神様だから、当然地獄へ行くべき罪人の私も赦されたんだ」と福音のありがたみが今一度込み上げてきたのを覚えています。

ちなみに、國分先生のメッセージは以下のリンクから聞けます:
http://www.naka-ch.com/msg201202.html#msg20120226

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