2014年6月4日水曜日

くびき

今日は私の好きな聖書のことばをひとつご紹介します:

マタイの福音書11章28~30節
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたし(イエス)のところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」

5月に2回しか投稿できず、6月に入ってしまったので「また忙しくしてるんだな」と思われた方もいらっしゃるかもしれません。確かに忙しくしていました。そして疲れていました。疲れるとこの聖書の箇所を思い出します。

クリスチャンになってすぐのころは、「本当に、イエス様の十字架によって全てがゆるされているから、罪責感や罪悪感から解放され、こころに安らぎがきたな、重荷を降ろせたな、神さまありがとう。」という感じで読んでいました。心の疲労の話をしていると思っていました。確かに、イエス様のところに行くと、愛、癒し、神との和解が与えられ、たましいに安らぎが来ます。

でもここ数年、クリスチャンとして生きているがゆえに疲れていることもある、と思うとき、この箇所を思い出しては、「イエス様、あなたのところに来たら休ませてくれるというお約束ですけれど、私はクリスチャンとしての働きのために肉体的には非常に疲れてますけど・・・」と心の中で言っていました。

でも少し前に「Bible navi」を使ってこの箇所を読んでいた時に「労働」について考えさせられました。くびきというのは農耕などで「熱心に働くための牛の道具」。

イエス様のもとに来れば、意味のない重労働、破壊的なくびきからは解放されるが、「労働」から解放されるわけではない。霊的に生産的で充実した労働、しかもイエス様が共に担い(イエス様の方が大きいので、私の肩よりもイエス様の方に大きな重みはかかっている)、引っ張っていってくれる労働をしているのだ、と教えられました。

「農具を引っ張る力を持つ方が、あなたの先に立って助けてくださる。あなたは偉大なる同伴者と人生の責任を一緒に負っているのだ。しかめ面は笑顔になり、不平は歌になるのである。」(Bible navi、1537ページ)

本当にそうです。
クリスチャンとして働けることに感謝。こんな私と共にくびきを負ってくださり、導いて下さる主に感謝です。

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この間撮ってもらった家族写真。和馬は「サッカー選手の表情」です。普通に笑っておくれ、というのが母の願い。。。

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