2014年6月10日火曜日

神様の喜びを共にする

一昨日の日曜日に、セント・エブス教会の洗礼式がありました。ご存知の方もおられると思いますが、セント・エブス教会は大きく、毎週4回礼拝があります。希望者があれば随時各礼拝で洗礼式が持たれますが、一昨日は教会を挙げての、一年に一度の合同洗礼式で、テムズ川で行われました。
川辺に何人集まったでしょうか。「群衆」と呼ぶのがふさわしい感じでした。道行く人も何事かと思ったでしょう。川をヨットや小舟で通り過ぎる人が興味深そうに私たちの賛美を聞いているのが印象的でした。

昨年の受洗者の中には、主人と私とずっと聖書を読んでいた友人がいたので当然めちゃくちゃ感動するという認識で臨みましたが、今年は受洗者の中に個人的に知っている人はいませんでした。だから、「素晴らしく喜ばしい日であり、とても楽しみにして出席するけれども、去年ほどは感動しないだろう」と思っていました。

ところが、ところが!!12名の受洗者と、4名の堅信者(幼い時に洗礼を受けているので、再び「洗礼を受ける」ことはしないのですが、この度はっきりとした信仰に導かれたので、自分のことばで信仰を公に告白したいと望んだ人)の証(どのように神様が導き働いてくださったかを証言すること)が始まった途端、何とも言えない深い感動に包まれて、涙をこらえるのに必死なくらい、感激してしまいました。その後ずっと、洗礼式が終わるまで、感動の嵐は続きました。

それで、思ったのです。これは、私自身ももちろん喜んで感動しているけれども、それよりももっと大きな、私の内に住んでくださっている聖霊の喜びと感動に、私が圧倒されてしまっているという経験ではなかろうかと。キリストの御名を信じた者には神様の霊(聖霊と言ったり、御霊と言ったりします)が与えられ、その人の内に住んでくださるというのが聖書の約束です。でも聖霊が入ってくださった瞬間に「ビビビ」っと何かを感じるわけでもなく、それをことばで説明するのは難しいです。信じて起こる色々な変化をもって、「これは御霊のなせるわざなのだ」と納得するのが多くの人の経験でしょう。でも一昨日は、私の中にいる御霊を体験的に知ることができるとしたら、こういうことを通してなのかもしれないな、と思わされるような経験でした。

そしてまた、私たち人間がご自身のもとに立ち返ることをこれほどまでに喜び、感動して迎え入れてくださる神様に、改めて感激し、深く感謝しました。このような神様がおられるってなんて幸せなことでしょう。

ルカの福音書の15章に、一人の罪人が悔い改める時に起こる天での喜びがいかに大きいかが記されています。一昨日の洗礼式は、まさにそのあらわれだったと思います。クリスチャンはこうして神様と喜びを共にしていくことができるのですね。何だか、クリスチャン人生の醍醐味をまたひとつ学ぶことの出来た、忘れられない一昨日の洗礼式でした。

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