2012年10月4日木曜日

熱血青年

火曜の夜はいつも子供を寝かしつけ、ベビーシッターを頼んで、教会の集会に行きます。主に修士、博士課程在籍者を相手にした食事と聖書の学びの会。いつも少数ですが日本人もいて夫がスモールグループのリードをしていますが、昨日はたまたま皆さんの都合が悪く、日本人はいませんでした。

ということで、夫と他のグループに合流。そこに、オックスフォード大学在籍中に信仰を持ったという熱血青年がいました。物理の博士課程にいる彼は明らかに頭脳明晰。そういう人は記憶力もずば抜けているのでしょうか。信仰歴2年半の彼は、「生き字引」ならぬ「生き聖書」になっていて、色々な聖句を箇所も正確に引用しつつ、熱く語ってくれました。留学生なのに英語の聖句をスラスラと。

科学者として研究している自分は神の存在を信じず、傲慢に生きてきたが、神様は本当に不思議な人を沢山用いて、自分のプライドをも用いて、恵みによって信仰を与えてくださったと言っていました。今彼がイエス様を「主」として生きていることは一目瞭然。「自制心が欲しい。決勝点目指して一心に、賞を受けられるように走り抜けたい。」と言った彼の言葉にスカッとしました。「私も!」と大声で言いたくなりました。(コリント人への手紙第一9章23~27を読むと、ここの箇所のパウロの言葉を彼が自分の決意として用いていることが分かります・・・)

日本人が来れなかったのは残念でしたが、この熱血青年を含め、真摯で誠実なクリスチャン達からみことばに根差した生きざまを見せてもらい、多くの励ましをもらった昨夜でした。

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コリント人への手紙第一9章23~27節
私(パウロ)はすべてのことを、福音のためにしています。それは、私も福音の恵みをともに受ける者となるためなのです。競技場で走る人たちは、みな走っても、賞を受けるのはただひとりだ、ということを知っているでしょう。ですから、あなたがた(コリントの教会の人たち)も、賞を受けられるように走りなさい。また闘技をする者は、あらゆることについて自制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです。ですから、私は決勝点がどこかわからないような走り方はしていません。空を打つような拳闘もしてはいません。私は自分のからだを打ちたたいて従わせます。それは、私がほかの人に宣べ伝えておきながら、自分自身が失格者になるようなことのないためです。
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兄、妹に読み聞かせの図。

読書の秋。
二人仲良くお風呂の図。
 
 

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