2012年10月29日月曜日

神の家族

聖書には、誰でも、イエス・キリストを信じると神様の子供とされるとあります。だから、神様がお父さんでクリスチャン同士は兄弟姉妹。
私は今、血のつながった家族、親戚からは遠く離れていますが、神の家族が近所に沢山います。

我が家のドアは、オートロックというようなモダンなモノでは無いのですが、側面に突起がついているので、完全にドアが閉まるとドア枠の穴に突起が入って外からドアは開けられなくなります。意味が通じているか不明ですが、とにかく、うっかり鍵を持たずに出ると閉め出されます。それでいつも気を付けていたのですが、この間ついにやってしまいました。アイラと一緒に和馬を学校に迎えに行った時、ドアを閉めた瞬間、鍵が無いことに気付きました。でも時既に遅し。

「あ・・・」と思いつつ、とりあえず和馬の学校へ。トイレを済まさせて、家の前で子供と一緒に夫の帰りを待つつもりでした。その日は早めに帰れる、と言っていたので。アイラと和馬は「好きなモノを順番に言っていくゲーム」とかを健気にやって文句も言わずに待っていたけど、張本人の私が「だんだん寒くなってきたしやってられん」という気分になり、同じ通りに住む、同じ教会の人のお家にお邪魔させてもらおう、と提案。はじめは「えー、でも・・・」とか言っていた和馬も乗り気になり、3人で押し掛けると、メチャクチャ気持ちよく迎えてくれました。あったかいお茶とケーキまでご馳走になり、子供達はそこのお宅の男の子と楽しく遊んでいました。そんなこんなですっかりくつろいでいると、ドアベルが。鍵を持っている夫に救出された次第です。

こういうアクシデントの時に頼れる人が側にいるって心強いし、近所のお母さん達とは毎週一緒に聖書を読んで互いのために祈ったり、家に招き合ったり、普段から色々と関わりあっています。子育ても一緒にできるし、熱を出したお母さんや出産直後のお母さんの家に夕食を届けに行ったりと、互いに助け合って生活するって本当に嬉しいことだと思います。

クリスチャンになって素晴らしいのは、死後に永遠の命が約束されているということだけではなくて、今、この地上の人生で、神の家族と愛のあふれる毎日を送れる、ということも大きいと思います。人というのは、大抵の場合、時間を一緒に過ごせば過ごすほど、愛情が湧くものだと思います。人間関係って面倒臭いところも確かにあるけれど、どれだけの人と愛を持って関わっていけるか、というのが人生の醍醐味ではないかと、最近つくづく思っています。

核家族化が進み、孤独な人が増えている現代。でも、教会につながっていたら、例えば、孤独死なんて無いんじゃないか、と私は思っています。神様との関係、そして、そこから派生して、他の人との本当に人間らしい関係に私たちを招き入れてくれるキリストの道。一人でも多くの人が、この道を見つけることができますように・・・

**********************************
アイラが和馬の来ていたコートを着るようになりました。二人、似ていますか?!
 

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。