2012年4月28日土曜日

愛されたから、許されたから


オックスフォードでの毎日が、本当に忙しくなりました。疲れてブログまで手が回らない夜が続きましたが、今日は頑張れそうです。

私と夫は、JCL(ジャパン・クリスチャン・リンク)というキリスト教の団体の宣教師ですが、昨日、JCLのニュースレターが郵送されてきました。JCLの他の宣教師のニュースなどが載っており、いつも興味深く読みますが、巻頭のヒュー・ブラウン宣教師のことばに目が留まりました。

「神様は何かを始められると、その働きと、その働きに召した人に対して、責任を取ってくださる」

このことを、ブラウン宣教師は何度も実感したとのこと。私と主人も、オックスフォードに来たばかり。この地での、私たちを使っての伝道の働きは、神様が始められたことなんだ、と思っていたところだったので、ブラウン宣教師のタイムリーな言葉に、とっても励まされた日でした。

聖書にも、こんなみことばがあります:

「あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださる」(ピリピ人への手紙16節)

このブラウン宣教師、元テロリストです。キリスト教の信仰を持って、全く変えられた人で、今は神戸で働いておられます。

彼が2002119日に、仙台市のイズミティ21という所で行った講演と、その後のインタビューが載っているページをインターネットで見つけました。とても良かったので紹介します。是非ご覧ください:


このページの作成者やブラウン宣教師にインタビューを行った方たちは、揃って「自分は信仰を持っていないが・・・」とされていますが、皆さん、何か良いものをブラウン師からいただいた、とおっしゃっています。

「憎しみを超えて」という題の講演ですが、ブラウン宣教師が、「許すことはできる。自分のために許すのだ。」と言い切っている点について感想を述べておられるインタビュアーの方が多くありました。許すこと、愛することを、本当の意味でするのは、本当に難しいですね。私なんて、一番愛しやすいであろう夫に対して、「許せん!!」とか鼻息を荒くして怒っていることの何と多いことか。この低レベルの「許し」から、肉親を殺された相手を許すような、非人間的レベルな「許し」まで、「許す」ことを可能にするカギが、聖書にあると、私は信じています。まず、神様が本当に自分を愛してくださったから、自分も愛することができる。まず、神様が本当に自分を許してくださったから、自分も許すことができる。双子の弟を目の前で拷問された元テロリスト、ブラウン宣教師が「許すことはできる」と断言し、実際に実行できているのは、神の愛と許しを自分自身が受けているから。

「許しがたきを許し、愛しがたきを愛す」、これは普通にはできないことです。イエス・キリストが十字架にかかって、私の罪のために死んでくださった。そのおかげで自分は許され、天国に行ける。この「福音」に現されている神の愛と許しの力が、普通にはできないことを可能にしてくれるのですね。

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「ニーニ、学校頑張って!」登校前の兄と妹。





 

金曜日。学校帰りの兄とお茶するため、パブに来た妹。


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